こだわりはプライスレス

高価なギター持つより、うまく弾くことが大切 [夕刊フジBLOG]

オヤジが思い詰めて眺めているギターは、マーチンD―45といって世界最高峰のアコースティック・ギター。夫が中学生の頃には日本に3本しかなかったという。モノにもよるがざっと100万円くらい。年代物だと数百万は当たり前らしい。
 しかし、たとえ夫の年収が数千万円あったとしても、そんなギターを買うと言われて、にこやかにどうぞと言える妻はそういない。ミュージシャンの妻だって、もう少し安いのにしてくれと要求するだろう。どう見ても普通のサラリーマンであるそのオヤジには、凝視するしかないギターなのである。
さすがにミュージシャンの奥さんだったら、そんなこと言わないだろう、とツッコミ。
カッコいい、カッコよくないという尺度では「高価なギター持つより、うまく弾くことが大切」を真っ向から否定するつもりはないけど。少なくとも、この記事書いた人は、音楽や楽器に情熱を注いだことがなさそう。
 
こういうものは、本人にとって金額はあんまり関係ないんだよな。このD―45について言えば、CSN,ニール・ヤングあたりの6弦がズドーン、高音がシャリーン(表現下手でスマソ)の「あの音」は、これじゃなきゃダメ。ギタリストの上手下手とは別次元の話。
これはピアノでもトロンボーンでも、万年筆でも彫刻刃でも同じ。なにかを突き詰めていくほど「これを使わないと自分の思ったとおりにならない」というものが存在する。それがこだわりというもの。
それって本人しかわからない感覚的なものだけど、それが満たされるときの感動は代えがたいんだなぁ。
 
もう15年も前にハミングバードを買ったときのことを思い出した。
近くに新しくできた楽器屋にそれはあって、前のオーナーにだいぶ手荒に扱われていたらしく、傷だらけで相場よりもいくらか安かった。それでも音はサイコー。中低音にパンチのあるギブソンの音がする。自分の生まれ年のギターということもあってひとめぼれ。バイトで稼いだ金を全部持って買いに行った。あの日のことは忘れられないな。
いまでも、リペアなどに持っていくと店員さんに「これ、すごくイイ音しますねぇ」と感心される(プチ自慢)。