文章は人?


この記事自体が、ネタかもしれないけど...
僕は「文章はその人の一面をあらわす」が正しいと思うんだ。
このとおり「文章は人」であれば、そもそも小説家なんて自分の想像した世界を書き巡らす職業は存在できないだろうし。
名文を書いた人が、必ずしも善良な人間であるとは限らないし。
子供の稚拙な文章に涙を流すことだってあるだろうし。
人はいろいろな面を持っていて、それを写し出すフィルターのひとつが文章なんじゃないだろうかね。


署名で書く記者の「ニュース日記」

ただ、逆に当然だが、web上の文章もまた、書いた人間を表す。「文章は人」だからだ。長い(ただ長いだけだが)記者経験から、僕にはそれが分かる。だから、この「社長日記」の文章を読めば、この堀江というlivedoorの社長さんの人間が読める。人間は、どんなに背伸びをしても、正体を隠そうとしたとしても、しょせん、その人間以上の文章は書けないのだ。


ま、livedoorにはなんとなく胡散臭さは感じるし。
文章を書くことを生業にしている人に「文章は人だ」と書かれると、そうか、そうだよね、と思ってしまうところも確かにあるのだが。


そういえば、上手な字を書く人も良い人柄に見えるんだよな。
字も下手、文章も下手なオレって...